2025年11月29日、佐賀県武雄市のOND CAMPで開かれた「YAMSOSM祭(ヤマオズムサイ)」。「食べる。つくる。出会う。山が近くなる。」 をテーマに、暮らしの延長にある佐賀の山の価値を感じてもらい、来場者の方が山とつながるきっかけとなることを目指し、開催されました。
この日の目玉プログラムとなった、写真家の石川直樹さん、株式会社ヤマップ代表の春山慶彦さんによる対談には、110人以上の方々にお越しいただきました。当日参加できなかったことを惜しむ声もいただき、普段は聞くことのできないで話や会場の熱気も含め、対談のアーカイブとしてお届けします。
構成:泥ぬマコ/編集:竹尾真由美/写真:渕上一広

体が入れ替わる、生まれ直すような感覚
司会者 本日はよろしくお願いいたします。お二人はお会いするのが初めてでしょうか。
石川直樹さん(以下、石川) はい、初めてです。さっきご挨拶しました。
春山慶彦さん(以下、春山) 実はアラスカのシュシュマレフ島にいたときに、石川さんにお会いしたことがあるんです。
石川 え、ほんとに!? あのときぼくは雑誌の取材で編集者の方と一緒だったはず。
春山 そう、あの時いたんです。ぼくは留学中で、「日本人が来たぞ」とは言われたんですけど、アザラシの解体する手伝いをしていたので、お声掛けできずで、あとから石川さんだと知ったんです。
司会者 今回のイベントは、山と出会うことをテーマにしておりますので、まずはお二人の山との出会いについてお聞かせいただけますか。
石川 小学生のとき、多摩川の上流で釣りをしていて、川の始まりが見たくて川上にひたすら歩いていったんです。そうしたらいつのまにか山に登っていた。そういうのが始まりだと思います。山の頂上に行けば、すごい風景が広がっているんじゃないか、と期待して行ってみたら、森に囲まれていて。山頂に着いたのはいいものの「あまり景色が良くないな……」、なんていうのが最初の頃の記憶ですね。そこから旅をするようになって、旅先でも山に登って、そしてまたさらに高い山に登っていった、みたいな流れです。
山登りはすごく好きなんですが、やっぱり自分の源には旅があるんです。旅をしていく中で、あまり情報がない場所や、人が行かないような場所に行きたくて、山に登ったり、川を下ったり、海を渡ったり、そういうことを始めたんですね。
司会者 春山さんは、いかがでしょうか。
春山 ぼくは福岡県春日市の出身で、いわゆるベッドタウン。大野城や春日は「東宝満、西脊振」と、祖父がよく口にしていました。そんなに高くないけれど、山が身近にあったと思います。ただ、意識的に山に登り始めたのは20歳から。屋久島の「永田いなか浜」で海に潜り「自然ってすごい! すばらしい宇宙が広がっている!」と衝撃を受けたんです。
山登りの原体験は、大学時代にお世話になった山好きの先生に、3泊4日で北アルプスに連れて行ってもらったことでした。登山中は、山の楽しさがまったくわからなくて。ところが、山から降りて京都の街に戻ったとき、体が入れ替わった感覚があって。体は疲れて筋肉痛もあるけど、内側から湧き上がってくるエネルギーみたいなものを、下山後に感じました。
あと、山を登る人はわかると思うんですが、稜線を眺めるとその稜線に自分が立っていたときに見た景色がフラッシュバックする瞬間もあって、それがすごく新鮮だったんです。それから取り憑かれたように山に登るようになりました。あの不思議な経験は今でもあります。
司会者 こういった感覚は、石川さんもありますか?
石川 そうですね。ぼくも大変な登山を終えた後に、自分が生まれ変わったような、あるいは生まれ直しているような感覚というのはありました。
20歳のとき、初めての高所登山で、アラスカのデナリという山に登りました。一カ月の遠征で、登頂して下りてきたときに、初めてそういう感覚を持ちましたね。あのときの隊は、大学の山岳部の主将クラスの人たちが多く、ぼくだけが初心者で、無理やりついて行ったんです。下山後は本当に空っぽになって、ゼロからもう1回生き返ったみたいな感じになって。
春山 人間としての野性みたいなものが内から湧き上がる感覚とも言えるかもしれません。ぼくはずっとスポーツをしてきましたが、そこでの心身の使い方とはまた違う感じです。山の力で自分の潜在的な力が呼び覚まされて、共鳴するというか。
その感覚について、彫刻家の船越桂さんが、「あの山は、あの大きさのまま私の中に入る」とおっしゃっています。山を見ることは、山が自分の命の中に入ってるということ。星を見ることは、星が自分の命の中に入ってるということ。人間の存在や想像力はそれほど広くて大きいものなんだっていう表現をされていたんですよね。
これはぼくなりの見解ですが、山を征服するとか制覇するとか、西洋的な山登りや登頂という意味じゃなくて、山との“いのちの一体性”を感じるという感覚に近いんじゃないかと思っています。見るだけじゃなく、山に登って降りる経験をすることで、その山の存在を抱えて生きることができる。山を歩く行為において、これがすごく尊いと思うんです。
だからみなさん、いろんな山や景色を歩かれていると思うんですけど、「いろんな景色や山を自分の命に包んで歩いている」っていう感覚が、表現としてはしっくりくるなと思っています。

現代の冒険は、自分自身の感覚を開くこと
石川 今、春山さんの話を聞いていて、いろいろ思うところがあります。日本の登山って……。ちょっといきなりマニアックな話になるんですがいいですか?笑
春山 今日はそういう日なので、ぜひ! ぼくも本気で喋ります。
石川 日本の登山は、西洋から入ってきたアルピニズムが元になっているんです。西洋的な登山というのは、山に登頂して、征服する・制覇するっていう考え方が非常に強かったんですよね。それはキリスト教的な考え方、あるいは中世ヨーロッパの自然観とも関わっています。ヨーロッパの山に登ると、たいがい頂上に十字架が建ててあるのは、魔の山を人間が制覇する、みたいな考え方があるからでしょう。
こうした西洋の考え方が日本に入ってくる以前の登山っていうのは、修験道などが元になっていて、山頂に到達することはそれほど重要視されていませんでした。山を歩きながら修行して、生まれ変わるような体験をすることが目的だったわけです。
登山用語で、山頂へ向かうことを、頂上に「アタックする」などと言いますけれど、ぼくはおかしいと思っています。「頂上を攻撃する」なんて、ね。人間は山にどうやっても勝てるわけがないし、そもそも勝ち負けではない。登山用語は軍隊用語がもとになっていると思われるものが多いのですが、頂上に立ったぐらいで、山をあたかも「俺のものだ!」みたいな言葉で表現するのは、ちょっと古いというか、違和感があります。だから今は「サミットプッシュ」という言葉に代わっています。
春山 そうですね。歴史の話が出たので、ぜひ石川さんに聞いてみたいのですが、現代では地球上から未開の地がほぼなくなり、冒険や探検の意味もすごく変化していますよね。だからこそぼくは、おもしろいとも思っているんですが、石川さんは、今の時代の冒険・探検の価値や意義は、どんなところにあると思いますか?
石川 かつての冒険や探検は、その国の威信をかけて領土を広げていくような目的から始まっています。けれど今はGoogleマップのようなもので世界を見渡せるし、地球上の未知の場所っていうのはものすごく少なくなりました。これまでに誰も登頂したことがない、いわゆる「未踏峰」はヒマラヤやカラコルムには6,000mクラスならいくつも残っていますけれど、本当の意味での未知の場所、あるいは人類が目にしていない場所というのは、ほとんどなくなってしまいました。
そんな現代において、冒険や探検の最先端というのは、春山さんも過去に対談されていましたが、作家の角幡唯介さんや、登山家の服部文祥さんがやっているような山旅や極地での旅に行き着くことになる。装備や機器に頼らず、自分の感覚を使って極地や山に潜り込み、感覚を解放させながら未知の野生に触れるということですね。
ただ、服部さんなんかは「物を制限しているわけじゃない」と言います。「制限」ではなくて、「能力を拡大して、より自由になっていくんだ」ということなのかな、とぼくは理解しています。いかに自由になりうるか、それが今の時代の冒険や探検の本質につながっている気がします。

冒険家・探検家ではなく、写真家・石川直樹
春山 大学生のときに、石川さんのインタビューを拝見して、確か当時の肩書きは探検家か冒険家だった記憶があります。今は写真家となっていますよね。なにか心境の変化があったのでしょうか。
石川 今もこれまでも、自ら探検家や冒険家と名乗ったことは一度もありません。20歳のときにデナリという山に登り、23歳ぐらいで北極から南極までを縦断する旅に出ました。そのことで、新聞や雑誌などでインタビューを受けた際、無理やり「冒険家」と紹介されそうになって、なんとか修正をお願いして「冒険者」としてもらった経緯なんかもあるんです。マスコミはわかりやすい肩書きを求めます。でもぼくは一貫して、冒険家や探検家とされることを回避してきました。なぜなら、本当の意味での冒険家や探検家に自分はなれない。本当の意味での冒険や探検をしてきた先達の偉業をよく知っているがゆえに、ぼくはそういう人たちの足元にもおよばないとずっと考えてきました。
未知の空白を埋めていくような冒険や探検が、自分にはしたくてもできないという気持ちが10代〜20代前半頃からありました。冒険家の植村直己さんをはじめ、過去の探検・冒険の本を読み漁ってきたからこそ、自分はそこにたどり着けていないなと感じるんです。「冒険家」という肩書きは、自分が名乗るのはおこがましい。謙遜とかではなく、正直にそう思っています。
春山 そうだったんですね。
石川 8,000m峰の登山も自分にとっては、旅の延長なんです。だから最近も14座に登ったことを取り上げてもらう際、登山家という肩書きは、やんわり否定させてもらっていて(笑) 。どうしても肩書きをつけなければならないときは、写真家を使います。一年の大半は写真に関わる仕事をしていますから、そこには矛盾がありません。でも、寺山修司さんではないですが、本当は肩書きはなく、「石川直樹です」とだけ名乗って生きていけたら、いちばんしっくりくるとは思うんですけどね。
例えば、コロナ禍で旅や山へ行けない時期、ぼくは東京の渋谷で、2年間ドブネズミを追っかけて写真を撮っていました。それってわかりやすい冒険でも探検でもないですよね。ぼくが生まれたのは東京ですが、でもネズミの住処を追いながら渋谷を歩いていくと、まったく未知の都市の姿が浮かび上がってきました。そういった足元の未知を見つけつつ、8,000mの山にも登る。そうした、足跡を地図のようにして写真で表出させていく。そんなことをひたすらやっているんですが、一般的にはわかりにくい活動かもしれません。

AI時代に必要な視点
春山 これまでぼくらは自分たちの外側を変化させることや、外側に道標を求めてきたと思うんです。でもこれからは、人の内側、精神の変化に答えを求める時代なんじゃないですかね。もうちょっと平たく言うと、心。
知識や情報量において、テクノロジーやAIの方が優れている時代に、「じゃあ人間性ってなにか?」と考える機会も増えました。そのときに、冒険や探検の未知なる領域を、未開の地といった外側に見るのではなく、冒険・体験という行為を通じて内側に見い出す取り組みや視点に、より深い意義があるのではないか。
これこそが21世紀の冒険探検。角幡さんや服部さん、そして石川さんの今のご活躍や、日本の冒険史を海外に伝えたら、世界中の人たちにも共感されると思います。そういう意味で、日本的な山との向き合い方は、これから注目されるし、おもしろくなっていくと思うんです。
石川 角幡さんや服部さんがやっていることは、翻訳されて海外の人にその真意がきちんと伝わったら、確かにいろんな新しい見方が生まれるかもしれないなと思います。
春山さんがおっしゃるように、今はみんながAIを使っている。だからこそぼくは、体験や身体性がより重要になってきている、と常々思っています。ヤマップは一見すると、テクノロジーを活用するサービスの会社なんだけど、そのファウンダーである春山さんの思考はともするとその逆で、内面的なことが大切であるとかおっしゃっていて、その意外性がおもしろいな、と思いますね。
春山 自分の中では確実につながっているんです。ぼくはヤマップの立ち上げ前に、グラフィック誌『風の旅人』を発行していた出版社で編集者として働いていたことがあります。もともとは写真家志望で、アラスカなどで撮影した写真を『風の旅人』の出版社に送っていました。ご縁があって編集長だった佐伯剛さんに「一緒に働きたかったら、来てもいいよ」とお声掛けいただき、編集アシスタントとして働くようになりました。佐伯さんにはとても影響を受けましたし、ものすごく鍛えられました(笑)。「カメラで写真を撮るだけが、写真家の仕事じゃない。人間の視覚芸術に寄与するのが写真家の仕事。今の仕事では直接的に写真を撮ってないかもしれないけど、仕事のすべてを視覚芸術だと考えて、本気で仕事をしてみろ」といったことを、教わったんですよね。
視覚芸術として「宇宙の視点で自分の位置を可視化する」。これをアプリケーションで表現したのが今のYAMAPです。写真や『風の旅人』での経験が自分のベースになければ、YAMAPは作れなかったんじゃないかなと思っています。
フェイク画像があふれている今の時代は、自分の見る力を鍛えてないと、だまされるし流されてしまいます。自分のフィルターでものごとを見るというのが重要です。なので、スマートフォンよりも、一眼レフで写真を撮り、世界と対峙する経験と感覚を大切にしたいと思っています。
石川 なるほど。登山と写真を撮ることって、すごい親和性がありますよね。低山とは少し違うかもしれませんが、高峰に登ったときは、山頂で証明として写真を撮らなきゃいけない。でも今だと、AIによる生成画像がすごくリアルになっているので、たとえフェイクで登頂写真を作ってもすぐには区別できない。
ぼくはフィルムカメラをずっと使っていますが、フィルムカメラによって生み出された像は化学反応だから、フェイクになりようがない。乳剤が塗布されたフィルムに、レンズを通して光があたり、現像処理による化学反応で像が浮かび上がります。現場の環境において、物理的な条件によってできあがるので、その瞬間にしか撮れない「そこにいた」ことの証明になります。8,000mの頂上でもフィルムを使っているのは、AIやフェイク画像があふれた現代社会への、アンチテーゼみたいな意味合いも込めています。
石川 春山さんは会社をやっているから常識人ではあると思うんだけど、今日もまあまあぶっ飛んだことをおっしゃっていて。ぼくはお金にも疎いし、経営なんてまったくできないし、理解できないタイプだけど、今日お話をしていると、春山さんもぼくたち側なんじゃないの? という気がしていますね(笑) なのに、よくそんなふうに会社を経営されているな、と。そこが不思議というか……。
春山 会社経営も冒険や探検の延長だと思っています。21世紀の冒険は、ヒマラヤや宇宙に行くというよりも、自分が立っている場所を宇宙であり世界と捉えて、冒険しているように日々を生きることだと考えています。21世紀の冒険は、足もとにこだわって、地域に深く根ざすことが最大の冒険であると考えているんです。
3.11をきっかけに、ビジネスで社会にインパクトを与えたいと思って起業しました。「起業は21世紀の冒険探検だ」と思ってやってきたんですけど……。ただ、これは去年ぐらいから考え方が少し変わって、経営は冒険ではないっていうのが、今の結論です。ぼくが冒険しすぎると、みんなを困らせることにもなるので。経営は、「生きていることのよろこびを表出する営みである」という経営観に変わりました。
石川 やっぱり、そうですよね。いやぁ、だからそれで会社を経営していけるのはすごいなあ、と単純に思います。
司会者 おふたりともディープなお話をありがとうございます。まだまだお聞きしていたいのですが、ここでお時間となってしまいました。この話の続きをぜひ、またYAMAOSM祭でお聞きしたいです。ありがとうございました。

写真家・石川直樹
1977年東京都生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。2011年『CORONA』(青土社)により土門拳賞。2020年『EVEREST』(CCCメディアハウス)、『まれびと』(小学館)により日本写真協会賞作家賞。2023年 東川賞特別作家賞。2024年紺綬褒章を受賞した。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)、『地上に星座をつくる』(新潮社)ほか多数。
NAOKI ISHIKAWA https://www.straightree.com
株式会社ヤマップ 代表取締役CEO 春山慶彦
1980年、福岡県春日市出身。同志社大学法学部 卒業。アラスカ大学フェアバンクス校野生動物学部 中退。ITやスマートフォンを活用して、自然や風土の豊かさを再発見する仕組みをつくりたいと思い、2013年3月にYAMAPをサービスリリース。2024年春、養老孟司さんらとの対談をまとめた本『こどもを野に放て!』を出版。同年、Forbes JAPAN「CULTURE-PRENEURS 30」に選出。
YAMAP https://corporate.yamap.co.jp
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1時間におよぶトークの後には、会場からの質問や感想も多くいただきました。一部をご紹介します。
――おふたりは佐賀県のどんなところが気に入っていますか?
石川 佐賀を初めて訪れたのは、伝統行事「見島のカセドリ」を撮影に行ったときでした。朝から晩まで撮影した思い出があります。蓑と笠をを身につけた男性2人が登場する不思議なお祭で、とても印象に残っています。その後、今回のYAMAOSMのトークやタブロイドの撮影などで、有田町や嬉野市などを周りました。
春山 ぼくは、行政区では捉えていなくて。九州という島を流域単位で捉えています。佐賀は、脊振山系でいうと南側です。以前、糸島にいるアイヌのおじさんに教えてもらったんですが……クルメはアイヌ語で「大きな川の河口」、アソは「火を噴く山」、セフリは「屋根」っていう意味があるらしいです。学術的に定かかは確認してはいないんですが。
確かに、脊振山系を境に気候が変わります。屋根のように、脊振山系で雲が溜まりやすい。雲が溜まりやすいから、雷も起きやすい。脊振山系の北側は雲や風の影響を受けやすく、逆に脊振の南側は穏やかで、平野と有明海、その先に雲仙が見える。だから、弥生の人たちが佐賀側に集落をつくったのは、そうした住みやすさがあるからなのか……そんなふうに想像しています。
――登山や普段でも必ず持ち歩くアイテムがあれば教えてください。
石川 よく聞かれるんですが、そういうのはないんです。写真家だからカメラとフィルムは必ず持って山に入りますが、それぐらい。道具を持たずに、できるだけ裸に近い状態で山に入っていくのが、いちばんかっこいいと思っています。
春山 ぼくはやっぱり、紙とペン。「なにを書いてるんですか」とよく聞かれますが、メモをしているんじゃなくて、書くことで考えているんです。イメージとしては、海に釣り糸を垂らしている感じ。パッと考えやアイデアが出たときに書く。書くことで、考えやアイデアを深めていけるような感覚があるんです。山を歩いてるときに大事なことに気づかされたり、思い出したりすることがあるので。それが山を歩く恵みのひとつだとも思っています。
――私は埼玉から移住し、佐賀に来て10年以上になります。「定住する・ひとつの場所に住む」ことをどのように捉えているか、お聞きしたいです。
石川 ぼくは永住することに憧れがあるんです。でも10代の頃から旅をずっと続けていて、例えば2022年は合計すると100泊ぐらいヒマラヤの山中でテント泊をしていました。もう48年間、断続的に旅の空の下で生きてきたので、雨風がしのげる家や人とのご縁があれば、もうそこがホームという感覚がぼくにはありますね。だからどこでも大丈夫。今後、どこに定住するかわからないですが、いろいろなものを見ていく今の生き方を続けるんじゃないかなと思います。
春山 ぼくの感覚ですけど、同じところに留まる方が、今は物事がよく見えると思うんです。なぜなら、現代は変化が激しいから。ぼくはヨガをするんですが、日本の武道もそうですね。同じ型をやることで、今の自分の身体や精神状態、周囲の変化に気づきやすい。
ぼくは今、世界をあちこち旅するよりも、なるべくひとつの地域にとどまって、宇宙、歴史、自然、社会などの全部を、自分の内面まで含めて見る、経験するっていう方が、深いところまで降りられるんじゃないかなって思っています。だからあんまり住んでいるところを移したくない感じですかね。
――私は生まれも育ちも佐賀県多良町で、地元の山にほぼ毎週登っています。「多良岳を愛する会」の会長をしていて、今メンバーが100人ぐらいいるんですが、「ホームマウンテン」のようにして、もっと自分たちのまちを盛り上げたいなと思っています。おふたりの視点で、どんなことを意識したらいいか、意見をお聞きしたいです。
春山 山の観点で街を盛り上げる効果的な取り組みは、「木を植える」ことだと思います。今、若い人で自然を舞台にして仕事をしたい人は、増えているように思います。でも、若い人が山に関わる職といったら、カメラマン、レンジャー、山小屋、アウトドアのメーカーで働く、それぐらいしか選択肢がないんですよね。それが、すごくもったいないんです。
山の仕事を増やすためにも、「流域」という観点で、まず山を捉えることが大事です。自分たちが生まれた場所や住んでいる場所の源流域にあたる水源地に、杉やヒノキじゃない木を植える。30年、50年、100年先のことを考えて木を植える。山と関わることの良さは、時間軸が長くなることにあります。
表層的に「山を良くしよう」「川が」「有明海が」っていうよりは、自分たちの営みと生死、その後の循環に思いをはせることで、精神性が宿り、山との結びつきも強くなります。
それがいちばんインパクトもあるし、植樹は長い時間がかかるからこそできることだと思います。登山者が増えることで山が豊かになる仕組みも、それなら同時につくれるなと思っています。
石川 山を守る団体で活動されているというだけで、本当にすばらしいことだと思いますよ。船越さんの言葉ではないですが、その山と一体となって、体現しているような印象を受けます。今のままでも十分です。ずっと活動を続けていってください。


